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春先はまだ冷える。
夏の熊野をよく知っていれば、この差に驚かずにいられない。
地中から顔を覗かせる葉や茎の群れをかきわけ、弁慶の手が薬草をつみとっていく。
「これは切傷、あちらは煎じて飲みます」
籠に摘まれていく草はどれも同じようにしか見えないのに、この手はそれをかぎわける。
何となく、例え幼くても知っている。
腕の良い仏師に彫り出されたような指が、血に染まっているであろう事を。
似合わないと思う。
人を癒す術のある手が、自分を優しく撫でる手が、様変わりするなど。
「ヒノエ?」
自分の考えに気をとられていると、弁慶が身を屈めて覗きこむ。
「どこか具合でも?・・・、ああ、少し冷えたのかな」
そう言って手を取る。
菩薩のようなと思っていたそれは、包まれると案外現実的に固さを持っていて、確かな温みを感じた。
「君は薄着だから、風邪なんか引かないで下さいね」
頭の袈裟を肩に巻かれる。
そういう優しさが、血なまぐささと無縁で戸惑ってしまう。
父親と話している時の弁慶は真面目ではあるけれど、やはり穏やかに笑う。
熊野では見せない、自分の知らない顔をしてどこぞで人を殺しているらしいのが、気に食わない。
「もしおれが、あんたの甥じゃなかったら・・・」
「え?」
袈裟を結ぶ手が止まる。
よく聞こえなかったのか、顔をまた覗き込んだ。
「ヒノエ・・・」
つい転び出てしまった言葉に口を塞ぐが、弁慶は些か重い表情になる。
一拍置いて彼は目をしっかりと合わせた。
「言って御覧なさい?」
「・・・、・・・殺した奴のことも心配するのか」
はじめ嫌がるように閉ざされていたが
幼い手が指を軽く握り、搾り出すように言った。
聡い、と言うのは時に子供を苦しめるものかもしれない。
自身がそうであったように。
少年の、まだ幼い顔が一瞬妙に大人びて見えた。
「・・・しますよ」
「嘘だ、そんなんでなんで人が殺せる」
真っ直ぐな心には、恐らく分からない。
例え心配していようとも、そうしなければ自身が殺される。
目的のために少数を殺めることが意味を為すと信じている。
弱いことかもしれない。
善意を心に留めて、死者を悼んで、それで僅かでも自分が救われた気になっている。
ただの、自己満足だ。
指を掴む手の力がにわかに強くなる。
少年が唇を噛んだ。
「・・・、おれがあんたの甥じゃなかったら、もし敵だったら、殺されるのか」
言いたかった一言が、とうとう溢れると
怯えた表情で視線が宙を彷徨った。
弁慶はどう答えたものかと戸惑う。
そういう仮定は本来無意味だが、言ってしまってはこの子を傷つけると分かっている。
「ヒノエ、」
肩が震える。
何を言われるのか、予想している内容に怯えているのだろう。
「・・・人との出会いは全て縁です。ずっと繋がっている、ね。浅い縁、深い縁、混ざり合って、出会うべくして出会うんですよ、人と人は」
少年は意図をはかりかねて、目を丸くしながらこちらを向く。
微笑むと、さらに続けた。
「君が別の形で僕とまみえるのは来世にまかせようと思います。今、君がここにいる。他の誰でもない、ヒノエとして生を受けている。それが僕にとっては代え難い程に大切です」
だから、悲しい仮定をしないで欲しいと、一言加える。
けれど言ってから、少年の顔は泣き出しそうに歪んだ。
「じゃあ・・・、」
ぱたぱたと零れてきた温い雫が、手に降りかかる。
途端、踵を返して彼は走り出した。
ヒノエ、と叫ぶ声が聞こえても、振り返ることが出来ない。
己の醜さに、心の奥が痛む。
木々の間を跳び、地面をかけて
時折やぶの草に肌を切られながらも
ずっと胸がずきずきと悲鳴を上げる。
じゃあ、自分が自分じゃなければ、敵なのだとしたら、あの手にかかっているのかと、そう思った。
悲しい仮定をするなとは、裏を返せばそういう事ではないのか。
彼の気持ちも分かっている。分かっていてどうしてそう思ってしまう。
どこまでも彼に合わせてくれと甘える自分を素直に言えなくて
あんなひねくれた、可愛くない仮定や言葉にばかりなる。
こんな自分でも嫌わないでいてくれるのか、そう、試してやりたくなった。
それが、また、苦しい。
一気にかけあがってきた山の中腹に
大きな樫の木がある。
天高くそびえて、太陽を一身に浴びて
何も言わずとも、素直に生きている。
羨ましくて自分が情けなくて、息を切らしながらまた涙が溢れた。
切れる息を整えながらよじ登ると、遠く水平線を臨む景色。
いっそこの景色に溶けてしまえるならこんな小さな自分を自覚しなくて済むものを。
そうしていて、ふと体勢が崩れる。
あ、と思った時には既に加速を始めていた。