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戦場の饐えた匂いに慣れた頃だったせいだろうか。
熊野の夏の休憩は穏やか過ぎて逆に頭をおかしくしそうだった。
みんなとはしゃいでいる事が楽しくて、些細な人の痛みを見過ごしてしまう。
気づいていても、前に戻れなくなっている自分がいた。





「───・・・で、最後に川に流す、着いておいで」

熊野別当と知れた後にはもう隠す必要も無いと思ったのか
薄墨の紗に朱の単を合わせた狩衣姿でヒノエは前を歩く。
現代と違い陽が落ちれば足元もおぼつかない程の暗闇でヒノエの脚は迷わない。
近くを流れる川のサラサラと言う音が段々と近づいていた。




灯火は魂火(たましひ)。
蝋燭に着いた火に御霊が宿る。
それは先祖を宿し、迷う魂を宿し、自身の業の宿った部分を移すものでもあるという。
全ての源である水に流す事で様々なものを始めに還す。
迷っているもの、忘れられているもの、自分を作ったものがそこにある事を確認しているような気がするとヒノエは言う。



「姫君は・・・時々自分の立ち居地が分からなくなったりしないかな、」


ヒノエは振り向いた。ゆらりと火が軌跡を描いて一瞬髪に移ったかに見えて、手を伸ばす。
赤い髪は夜気に当てられて少し湿っている。焦げてもいない。
ほっとしたところに手を握られる。そのまま引き寄せられるかと思った手はゆっくり胸元に帰された。
立ち居地はこういう時にもよく分からなくなるものだと思った。心臓が少しうるさい。
慌しくなった頭の中で質問された事を反芻する。


「戦場にいる時は・・・たまに思うかな、」
「どうして?」
「切る事も、封じる事も、迷いがない自分が・・・怖いなって、思う」
「それで?」
「気が狂ってる気がする・・・の、かな。私が周りと違うモノみたいに思えて、私だけおかしいみたいで」
「、・・・分かるな」


ヒノエはらしくないほど妖艶に笑んだ。
灯火の僅かな光が口元を照らす。


綺麗だった。

 


不思議な会話を打ち切ってヒノエは適度に会話を挟む。
そのテンポは話疲れも沈黙疲れもさせない。
相槌を打ちながら、彼のこういった間の取り方の上手さや知識量が貪欲さの表れだと気づくと、なぜだかこうした儀式を大切にするのが分かったような気がした。さっきの質問の意図も。


「さあ、着いたよ、」


突如開けた視界には月光を反射する川面が大きく現れた。
先日から晴天が続いていたせいか妙に穏やかな流れに見える。
対岸の林と空の境目が時折風で形を歪め、隙間隙間の星を隠したり出したりを繰り返した。
ヒノエは川に一つ籠を浮かべて紙を敷く。蝋を薄く塗ったそれに火を寝かせると途端ぼっと大きな火に生まれ変わった。


「危ないから、」


手を上げて蝋燭を受け取ろうとする手にそれを渡すと、同じようにまた大きな火になって川を流れて行く。
流れて行く、先祖の魂、迷う魂、自分の業。
それらは明らかに闇のもののように思えるのに、明るい。闇の中を闇が照らしている。
先祖を思い、迷うものを思い、そうして忘れていたものを取り戻していく。
居心地の悪いこの立ち居地というものが、段々と消えて行く。胸に痛みが走った。


不意に涙が溢れ出す。
嗚咽や悲鳴のようなものを言葉に出来ない痛みと共に吐き出した。
ヒノエは何も言わない。ただ隣で佇んだまま、手を握っていた。



些細な痛みがある事を忘れていた。
小さな事で痛む者がいる事を忘れていた。
忘れられた者が一番哀しい事を忘れていた。


泣く事を、忘れていた。


自分が悲しい生き物になっている事に気づいて、なお心は閉塞していた。満たされなかった。
それを満たすように、戦いを続けていた。


最初躊躇った事が出来る様になって最初は喜べた。
けれど、次第に恐ろしくなった。大切なものを守るために大切なものを捨てている気がした。



だから、泣けた事が、嬉しかった。



「・・・。痛みを感じないのは、怖いだろ、」
「ヒノエ君も・・・そう思うんだ」
「・・・誰でも、思うんじゃないかな」


遠く流れて行った火の残照が目の裏から消えない。
誰かから流れてきたらしい痛みか、それとも自分自身が感じていたはずの痛みを受け取りながら、嬉し泣く。
隣の手を握り返すと、期を見たように抱き込んできた腕がずるいと思いながら、そのままでいることにする。


体温が暖かく、心地良く、胸に染み入ってきた───。


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